<国指定史跡「相模国分寺跡」・「相模国分尼寺跡」の天平文化遺跡を中心としたコース> 相模国分寺跡(国指定史跡) 天平13年(741)、聖武天皇は「鎮護国家」を目的として「国分寺建立の詔」を発し、 諸国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を併せて建立するよう命じました。 相模国分寺は、中門から北方にある講堂に向かって、西側に七重塔、東側に金堂を配置し、 周囲を回廊・築地塀で囲う「法隆寺式伽藍配置」となっています。 創建年代は8世紀中頃と考えられています。 <国指定史跡「秋葉山古墳群」を中心としたコース> 秋葉山古墳群(国指定史跡) 海老名市北部の座間丘陵頂部に造られた5基の古墳による古墳群で、 弥生時代終末(3世紀後半)から古墳時代初頭(4世紀)にかけて継続的 に造られた墳墓群です。 年代は古い順に、3号墳(3世紀後半・前方後円形)・4号墳(3世紀 後半・前方後方形)→2号墳(秋葉山・3世紀末・前方後円形) →5号 墳4世紀前半・方形)・1号墳(山王山・4世紀前半・前方後円形)と考 えられています。3号墳は東日本において最古級の前方後円形の墳墓です。 <県指定史跡「上浜田中世建築遺構群」や市指定史跡「瓢箪塚古墳」を中心としたコース> 中世建築遺構群(県指定) 相模川東岸の南北に連なる座間丘陵南端の上浜田地区には、縄文時代、古墳時代、奈良・平 安時代、中世、近世の遺構群が存在しています。 中世の建物址(9棟)、奈良・平安時代の竪穴住居跡(116軒)は、近くに国分寺・国分尼寺 が造営されていることから、この地が奈良時代から中世にかけて、相模国の重要な位置を占め ていたことを示す貴重な発見です。 <江戸時代の大山道(青山通・柏尾通)を中心としたコース> 大山街道の碑(大山道青山通) 江戸の赤坂御門から青山、三軒茶屋を経て、多摩川を二子で渡り、長津田、鶴間を通り市内 の柏ケ谷、国分、河原口を通って厚木に渡り、伊勢原の大山までの道が大山道「青山通」と 呼ばれていました。 市内を通る大山道の中でも、青山通は江戸から直接大山まで結ぶ代表的な道でもあります。 古代から使われてきた道で、江戸時代には「矢倉沢往還」とも呼ばれていました。
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